福島学が初回KO負けしてから、どうなったのかふっと気になる。
ボクシングが好きで好きで上京してきた若者が
(確か福島から自転車で綾瀬まで来たんだったっけか)
やっとの思いでたどり着いた夢の世界戦。
どんなドラマでも描けない、なんとも皮肉な結果が待っていた。
こんな福島は見たことがなかった。
初回にハードブローを食った後、意識が飛んでしまい、
危険な距離なのに髪型をいじったり、人の良さそうな愛想笑いを浮かべたり、
とにかくとにかく、戦う姿勢が悲しいほどにぶっ飛んでしまった…
努力の末にたどり着いた舞台で演じてしまった不可解なボクシング。
全国ネット、初めて彼を見たファンも多かっただろう。
「なんだありゃ…」
「かっこつけてやがる」
顔立ちも端整で、日に焼けた二枚目だっただけに(完全に裏目…)、
そう思われてしまうのも(悲しいことに)理解できてしまう試合内容だった。
(事実、一緒に観戦していた妻は酷評だった)
が、国内ライバルとしっかり戦って、
ハードなマッチメイクを乗り切ってきた男だった。
近年稀に見る、まともな世界挑戦決定だった。
出来立てジムのリーダー的存在、
会長の愛弟子として練習熱心なだけでなく、
そのスタイルも奇抜・意外、アイデアの宝庫だった。
ジャブっぽいフォームのままアッパーをリードブローに使ったり、
パーリングで相手を壊してイライラさせてエサを撒く様子など、
当時の国内リングでは工夫が感じられるボクサーだった。
(真ん中重心がしっかりしていたからこそデキた芸当。
近年は軸もずれてしまって、動きがバラバラ気味だったが…)
世界戦に負けた後、周囲にも様々な不幸な状況があったと聞く。
ジムも移籍し、ハードなマッチメイクで再浮上を目指しているという噂。
そこそこヒット曲を出したミュージシャンが、
やがて大手の会社からインディーズレーベルへ…
そんな悲哀を感じながら、ボクマガの試合結果ページに
時折名前を見つけてはチェックしていたのだが…
最近、名前を見ていないなぁ…
ボクシング、そして人生で、
彼のようにボクシングに一途だった男が
元気にやっていてくれたら…と願ってしまいます。
2010年4月14日水曜日
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