2010年8月21日土曜日

ボクシングで人は変われるのか

>>やはり人は変われないのだろうか…

うちの学年主任がよく、学年集会や何かあれば必ず口にするのが「人は変われる」です。
うちの学校で問題を起こした生徒は一度面接を受け
繰り返さないことを約束に集団生活に復帰します。

大事なのは周りが変わることを期待して待っていてあげる事だと話していました。

実際ウチの学年は年々問題が減ってきました。
これは、信じて待っていたあの人の賜物なのかなぁ~と感心しました。

もちろん本人の変わりたいって気持ちが90%だと思うのですがやはり本人も周りの期待を背負っていたら変われるんじゃないかなと3年間通して思いました。
ちょうど「人は変われる」というキーワードがどんぴしゃだったので書いちゃいました(笑)

少なからずボクは、人は変われるんだなと経験を通して思っています。

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> うちの学年主任がよく、学年集会や何かあれば必ず口にするのが「人は変われる」です。

ロッキー4、ロッキーは「人は変われるんだ!」と叫んで終わります。
「更生」は私のテーマでもあるんですよね。

ジムの練習生で過去に自動車泥棒で捕まった過去のある若者がいました。
(自転車じゃないです!)

で、ある日、突然訪ねてきました。相談を受けたのですが…
「10万貸して欲しい。でないと殺されるかも知れない。」

真顔でした。

「どんな事があっても俺は金の貸し借りをしない男だ。
なので、金は貸せないが、君をほっとけない。警察に行こう。」

ごねたけれど、強引に車に乗せる。
警察に行くと若者の原付免許のコピー、で相談。
しばらくすると私だけ別室。

「君はあの子とどうゆう関係なの?」
「ボクシングを教えています。まだ2回目ですが…」

免許のコピーの下に走り書きで警官によるメモがあった。
これまでの犯罪歴、そして、驚いたのは私に伝えていた名前と違う名前が…

(偽名、だったのか…)

ボクシングを教えている時、とても素直だった。
怖さに負けずに頑張っていた。

スパーが終わって、飲み物を飲む時に手が震えていて、
それを私に気付かれぬよう、すぐにグラスを置いていた。

なにを教えても、悪かった点を伝えても、返事が曖昧だったので、
私がはっきり言え!と言うと、頑張って大きい声を出していた。

その日は最後まで大きい声で返事をしていたっけ。

(…俺はこの子をまっとうにしたい!)

若者は何度も何度も私に礼を言って、朝日の中、帰っていった。
「落ち着いたら、またボクシング教わりに来ます。」
「わかった。〇〇君(もちろん偽名で)、気をつけて帰れよ」


あの日を最後に彼には会えていません。
尻切れトンボな気持ちと同時に会えなくなった安心感?もある矛盾。


私はまだボクシングで「更生」に成功していない。

ボクシング以外でも家族・親戚に不幸があると、
あんなに言ったのになぜだ…と無力感を感じたりします。

こんな悔いはいつも心の中にあります。
そして、これがボクシングを教えたい!という気持ちの原動力だと思います。


不思議なもので、一途になれない自分もいて、本心では
「ダメなヤツに何を言っても無駄かもしれない」
「本当は無理かもしれない」
「俺はきれいごとばかり言っている」
とも思っています。

スパ天でのごたごたがあるたびに上記のモヤモヤが証明されているような…
そんな蓄積ダメージを感じながらの日々に書き込まれた御幸君の書き込み。

ありがとう!

個タク合格して余裕ができて、またボクシング教えて…
その時になにかしらの答えに辿りつけるかも知れないね♪

ちょっと勉強なり、違反の恐怖なり、で気持ちが病んでいたような気がする。

自分よりバカ正直はいないんじゃないか?と思っていた日々の中、
自分より遥かに清々しい、まっすぐな気持ちに会えた幸運。

おーし、殴るぞ~♪(?)

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