井上vsドネアに刺激され、もはや遠い記憶となった自身のボクシングを思い出す。
体力に自信のなかった自分は途中からフォームを崩すことによってパンチを避け、意外性のあるパンチをどう当てるかを追求。当時は技術だと思っていた。
正しいフォームを崩さず最高のパンチを当てられる井上を見ていると、自分は拳闘の正統から逃げたのだとはっきりわかる。逃げたのだ。
フォームを崩すと教科書的な相手の正しいパンチを避けられた。崩れた状態から打つ拳は意外性があり時に対戦相手だけでなく周囲を驚かせた。
しかし、やはり体重が乗らないので必殺の威力を込められなかった。崩れたフォームは自身の筋力にも負担となって、長いラウンドには不安を感じていた。
当時の自分は、威圧的な指導者による均一な指導ルーチンとは別の道がある事を証明したかったのだろう。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
すごく共感します。私も学生時代の剣道、オジサンになってからのキック、いずれも中途半端ではありましたが、似た考えを持っていました。
コンタクトスポーツに正解は無いんだ、個人の特性を活かして闘うんだ、そう思ったんですが、やっぱり真の正統を見せられると…。本当はわかってたんですけどね苦笑
ボクシングゲーム開発者
似た考えとありますが、…我々!
私は学生時代は柔道、その後ボクシング、自作ゲーム製作。
マサルさんとなんだか選んできた道、経験も似てますね♪
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
僭越ながらゲーム開発を生業にさせてもらってますが、サンドバッグさんの作品のスゴイ所は、試合展開をグラフに落とし込み、リング外の人間の部分を描き、足元を隠した真横視点にすることで運足とプレスの戦略をわかりやすく再現する「ボクシングの魅力の切り出し方」にあると思ってます。
リッチでリアルな『FightNight』で前腕の間をすり抜けてアッパーがヒットする画には熱くなりますが、個人製作でその“正統”の行列に並んでいたらずっと追いつけない。
持たざる者が編み出した不意の角度からのアプローチ、自分には思いっきり効きました。持たざる者の戦術もまた、見所なのだと思います♪
ボクシングゲーム開発者
持たざる者、そうか、ゲーム開発でも私は正統とは別の道を選んだのか!(気付き)
そして「そのアプローチにも価値がある」、いいお言葉ありがとうございます。
思えば、サターン派だった私(これもゲーマーとしてはメインストリームではない?)。
自分にとって初の3D形式ボクシングゲーム「キングオブボクシング」、ワクワクして発売日に買いました。
しかしプレイしてみたら綿密な距離感を画面から感じ取れず、なんとなく近くなったらパンチを打ってどうにかなっちゃう、まったくリアリティのない拳闘再現にガッカリした経験…。
自分が横から見た2D形式を選択しているのは、この経験がベースです。(私にとっての拳闘は、あと3cmの距離にビクビクする競技、この距離感の再現・提示を最も大切に考えました)
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
ゲームの正統は途方もない資本力・技術力の世界なので今の国産作品はどこも個性勝負ですけどね。
実は私が格闘モノを作った時、従来の格闘モノで気になってた打ち終わりの立ち位置がそのままという違和感にメスを入れたんですが、その後実ボクを知った時には、同じ発想の距離調整に深く共感したものです
ボクシングゲーム開発者
実ボクはゲームとしてうんぬんは後から考え、初期バージョンの頃は完全にボクシングの再現ばかりを考えていました。
- パンチを打つと頭の位置も前に出る(キャラが実写なので必然)
- 休まず打つと肉体が疲労する(格闘ゲームの多くは疲労しない)
- ボディ打たれると回復力が鈍る(劣化状況による戦い方の変化)
- 自分が実際にできない動きはしない
これらを徹底したらゲームとして成り立っていた、まさにボクシングに感謝でした。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
改めて感動しました。
ボクシングへの造詣が『実ボク』『グラボク』のエンジンとするならば、深いボクシング愛と情熱は尽きることのない燃料。
でも要素の切り出し方は紛れもなくドライバーのセンスですよ。
実はボクシングゲーム開発において、サンドバッグさんは“持つ者”の側だった…!?
ボクシングゲーム開発者
ありがとうございます。
中学生の頃に読んだ雑誌記事で手塚治虫が火の鳥執筆はライフワークと語っていて、自分の場合なんだろうか?とぼんやり考えて、それからずっと探しながら大人になった気がします。
見つかった自分のライフワーク、「実写でボクシング」。
ボクシング、面白いゲーム体験、誰かとの会話、ニュース。
私の日常における全てが実ボクに供給されていきます。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
人間は一生のうちに多くの経験をしますが、それを一点に集約できるほどの何かへの情熱ってなかなか持てないと思うんですよ。
そこまでの情熱で制作されてるのだから、そりゃ傑作になるなと。
自分はサンドバッグさんのゲームのファンですし、影響も受けています。
ボクシングゲーム開発者
自分にとって過去作であるグラフでボクシングへの反響が、現在進行形の実写でボクシングより大きい事に嫉妬する気持ちがある。
思うに反射神経を必要としないゲーム性による間口の広さ、Windowsにコントローラを接続している割合なども関係しているのかも(PCでガチガチの対戦格闘ゲームはヒットしてない気もする)。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
非アクションゲームである事よりも、拳闘にまつわるドラマを題材にしている所が間口が広いのかなと分析します。
実際の競技者たちの現場を間近で見る環境がない人にとっては、リング上の闘いだけから彼らの人生を読み取るほどの情報や知識は無いのが普通ですしね。
ボクシングゲーム開発者
確かに…!
グラボクの舞台はプロボクシング。そこにはリング以外にも当たり前ながら結婚や引退にまつわる人間ドラマがある。
実ボクのテーマはボクシングの体験。技術的な体験そのものに特化しているから人生ドラマの要素は薄い。
気が付きませんでした。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
ドラマ性の部分で煽りすぎて、優れたボクサーだったのに実像と評価がちぐはぐになってしまった兄弟もいますが汗
ドラマが大衆に届きやすいといっても、テレビではやっぱ他人事なのでほどほどにしてほしいんですけどね。
それがゲームだと、他人事じゃなくなって自分事になるというか。
ボクシングゲーム開発者
なるほど、ゲームだと自分事になる、か…。
現実のボクサーの動きや生き様を自分自身に投影するって100%はできない。本や映画の主人公にも自分自身を投影するのは無理(共感と投影を別と考えます)。
んが! ゲームって主人公を自分としてプレイできる。それがリンクだろうがマリオだろうが、自分として投影できている! できてるぞ!(他にはないゲームの意義、価値)
この気づきは凄い!
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
試合の描き方も技術が細かくなるほど大衆には解らない世界になるんですけど、押してる/押されてるに絞ってグラフで表現というのは、最初は天才かと思いましたよ。
ああこれは開発初心者でも手に負える、ボクシングの醍醐味をシンプルに表現した事で、超伝わりやすい物になったんだなって腑に落ちました
文章イベントにせよ、グラフにせよ、ボクシングの醍醐味の切り出し方が神がかっていて度肝を抜かれました。
世界戦の折り返し地点で涙が出たのは一度や二度じゃないですよ笑
自分も商業で2作、格闘技系ゲームを出しましたが、2作目の開発段階ではグラボクに影響を受けた育成モードを企画してました。
ボクシングゲーム開発者
(グラボクに影響を受けた育成モードに対して、グラボクの内部的な秘密をツイートするも、内容がネタバレすぎるので削除)
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
えーっ!そうなんですね。ホントに魔法みたいな作品だなあ…。
もともとたくさんの物を与えてくれた作品でしたが、今日またひとつ勉強になりました!
でも自分がプレイしてるんだ、っていう感覚は大きな魅力なので、その事は外では言わない方がいいかも…
なんならこのツイートも削除した方がいいかもです!
ボクシングゲーム開発者
確かにネタバレが過ぎました、削除~!
大地将さん(この呼び方でいいのか不安)の言葉、いつも別視点からの気付きを与えてくれます。感謝です。
大地将でマサル=クリスティンで漁ん
胸にしまっておきます笑
はい、大地 将は本名なので大地でもマサルでもいいですよー。
こちらこそ、たくさんの気づきをもらってます!
尊敬しております!
0 件のコメント:
コメントを投稿