2018年2月9日金曜日

小細胞肺がんの治療

長くヘビースモーカーだった父が「肺がん」との診断を受けました。

私個人の覚書として、このページに闘病の推移を記録・追記していきますが、同様のガンと闘病している方に有益となったら幸いです。

実家に帰るたび、当記事に修正・追記を加えていきます。
ご意見ありましたら、下のコメント欄にお願いします。



2017年 1月

大動脈瘤のCTを撮った際、肺に影を発見。
診断の結果、肺がんと診断される。(小細胞がん、ステージ2)

即刻タバコを止める。諸説あり

該当するがんについてネットで調べる。


小細胞がん(中枢型)は肺がん全体の15%、少数派。

がんナビの記事を要約して以下に転載します。

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小細胞肺がんは進行が早いが、抗がん剤がよく効くので、治療は抗がん剤による化学療法が中心となる。
(手術による治療は、極めて早期の場合のみ)

小細胞がんは、脳に転移することが多い。
脳への転移を防ぐ目的で予防的に照射を行うこともある。(が、認知機能が低下する可能性などリスクもある)

Ⅰ期を過ぎると、「限局型」「進展型」に大別して治療方針を選択。

限局型では、抗がん剤による化学療法か、化学療法と放射線療法の合併治療を行う。
進展型では、抗がん剤による化学療法が中心となります。化学療法を行いながら、予防的全脳照射を行うこともある。

小細胞がんに対しては、シスプラチンとイリノテカンの2剤を併用する治療が中心です。
ほかにカルボプラチン、エトポシド、シクロホスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチン、イフォマイド、アムルビシンなどのうち2~3剤を併用することもあります。

また、骨転移や脳転移などの症状を和らげたり、顔・首のむくみを和らげる目的で、放射線療法を行うことがあります。

がんが肺やほかの臓器に再発した場合は、前回と同様の抗がん剤および放射線による再治療を行います。(ほかの有効な抗がん剤を選択する場合も)
脳への転移の場合、抗がん剤の効果が見込めないため、放射線による治療となります。

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2017年 6月~

抗がん剤治療(カルボプラチン、エトポシド)のため、断続的に4度の入退院。(3、4度目から倦怠感)

通院で肺への放射線治療をする。(30回)

小細胞がんに多い他の臓器への転移を疑い、脳と骨を検査する。
結果、この時点で転移がないことを確認。

2017年11月

肺のCT、新旧画像を比較。
がんが拡大していないことを確認。

2018年 2月

肺のCT、新旧画像を比較すると、がんの周辺に不穏な影あり。
放射線治療の跡だと思われるが、念のためもう一度CTを撮る。
(もしがんが拡大していたらもう一度抗がん剤治療とのこと)

2018年 3月

不穏な影は放射線治療の跡だと判明、抗がん剤治療は見送り。
骨への転移を示す数値が微増しているため、骨の検査をする。

2018年 4月

骨への転移はなく、肺のガンも変化なし。
が、車の運転中に左へ左へと危険なほどに寄ってしまう症状が出たため、脳のCT検査をする。
結果、脳への転移を発見。入院して放射線治療をする。
(車は廃車、免許の返納も検討)

2018年 5月

脳への放射線照射が終了(結果は7月)。

肺をCTで確認。ほぼ変化ないが、やや厚くなっているようにも見える(放射線治療の跡と見分けが難しい)。
見ただけでは判断が難しいので、今後は腫瘍マーカーによる判断を優先する。

念のため抗がん剤(前回と同じ薬を選択)をする事に。短期入院を予約。

2018年7月

脳の放射線照射による治療の結果をMRIで確認すると、腫瘍が2/3の大きさになっていた。(しばらくしたらもう一度MRIで再確認する予定)

抗がん剤の入院、全4回を半分終えたが、ふらつく・だるいなどの症状。(辛いが残りの二回も頑張ると)

2018年9月

CTによる肺の確認。がんの影がやや小さくなっており、抗がん剤が効果を上げているように思える。
MRIによる脳の確認。放射線治療の効果が継続しており、腫瘍が3cm以下となる。ガンマナイフによる治療が有効な小ささとなったので、10月にさいたまガンマナイフセンターへ行く予定。
認知症のテスト、合格するもギリギリ。薬(アリセプト)を頂く。
11月、骨への転移を確認する予定(やや腰が痛い)。

2018年10月

ガンマナイフセンターで脳のMRI。小さくなりつつあるのでガンマナイフせずに経過観察することに。
今後、脳の状態はガンマナイフセンターで確認することになった。

2018年11月

やたらと怒りやすくなった(アリセプト以降だろうか?)。
調べるとメマリー(認知症薬)が気持ちを穏やかにする効果があるらしく追加で頂く。

2018年12月

メマリーの効果てきめん、穏やかになった。
脳のMRI、腫瘍に変化なし、ガンマナイフ見送り。
胸のCT、変化なし。
(私の仕事が忙しく、病院付き添いができなかった)
両親揃って別々に転倒、手首を痛める。

2019年1月

正月を実家で元気な状態で迎えられた。
転ばぬよう、玄関・階段・風呂に手すりを付けた。

2019年2月

6日、CTで副腎に心配な肥大あるも、素人目にはよくわからない。
ただし肺がんは副腎への転移は多いので、次回のCTを早めに予約。
15日にCT撮影、20日にCTの確認。
(CTより精密な検査となるPET-CTは治療費が高いので回避)

20日、CTを確認すると副腎は以前より肥大しており、やはり転移と確定する。
更に同じCTで以前手術した大動脈瘤の脇にも円形のなにか?が見える。
25日に入院、抗がん剤治療をする。(前回と同じ抗がん剤にするか要検討)
もちろん 円形のなにか?も調べる予定。

2019年3月

抗がん剤は前回と同じ種類に決定、全4回を予定。
(合計で11回となるのでこの種類は最後?)

円形の何かはCTと超音波で調べたが、原因不明。
ただし、悪いものではなさそうと判断された。

脳をガンマナイフセンターでMRIするが、前回と変化なく様子見を継続。
3ヶ月ごとではなく今後は4ヶ月ごとの検査となった。

入院しての抗がん剤投与が終了、帰宅後にぐったりするまでは想定内だったが、39度の高熱で寝込み、床から立ち上がれなくなるほど弱ってしまった。

病院に連絡、CTで検査すると肺炎と診断される(ガンとは直接的な関係はない)。

即入院して安静に過ごすもあまり好転せず、奥の手と考えていたステロイド点滴を選択して入院期間を延長。
「ステロイド」という聞きなれない響きがショックだったらしく落ち込む。

肺炎治療の入院しつつリハビリも並行する。
ベッドや階段の昇降、トイレ、入浴などのトレーニングを行う。

弱っている様子から介護申請を勧められ、4/23に自宅にて介護認定の審査をする。
先だって自宅には介護用ベッドを設置した。

心臓に水がたまっているらしく利尿剤で対処。(大きな問題ではないらしい)

ステロイドで食欲が増し血糖値が上がったので、止めていたインシュリンを再開した。
ただし、食欲が増したからか顔色がいいように思える。

2019年4月

肺炎は器質化肺炎と診断された。
ステロイドは徐々に減らしていくが長く続ける必要もある。

退院なので迎えに行くと機嫌が悪く、来るのが遅いなど周囲に悪態をつく。
怒りださないよう対応することがとても疲れるし、病院スタッフも大変だったと思う。

もっと顔を出せと言われるが、こんな態度の父親では…。
面倒をみている母親はこういう人だからと諦めている。

2019年5月

退院時の様子と比べると、かなり落ち着きを取り戻す。
骨への転移がないことを確認、次の抗がん剤入院の日程を決める。

2019年6月

10度目の抗がん剤を終える。副作用が辛いので次の最後の抗がん剤をどうせ治らないのであればやりたくないと言う。のちのち後悔したくないからやろうと説得。

2019年7月

ガンママイフセンターで脳のMRI。4か月ぶりだったが腫瘍の大きさに変化なく、新たな脳転移もないことを確認。
ガンゲノム医療が保険適用になったので今後の肺がん治療の視野に入れてみようかと話をする。

2019年8月

11度目の抗がん剤を終えグッタリした中、CT検査の結果が出る。
残念ながら副腎の転移ガンは大きくなり、肝臓にも新たな転移と思われる点がポツポツ。本格的に検査するため入院の手続きをする。
抗がん剤のダメージと精神的ダメージで意気消沈し、歩行困難となり、トイレに行くのも大変となる。話をしては涙ばかり流す状態で入院まで過ごす。

2019年9月

発熱と意識障害により、入院予定日の前日に救急車で緊急入院。
白血球の数が異様に低下しており、肺のCT映像を見ると広範囲に白い影と化膿した様子が確認できた。肺炎と診断される。
目も開かず話ができない状態、口をずっと開けたままハァーハァーと懸命に息をしている。
ダメージの深さから「ここ数日が山場、覚悟してください」との言葉を頂く。

2019年9月20日

静かに苦しむことなく亡くなりました。母と主治医が最期を看取ってくれました。まだ父の体が温かいうちに私の妻と娘、弟の奥さんも駆けつけることができました。
仕事中だった私と部活を終えた息子が会えたのは数時間後となり、すでに父は病院を出て実家の仏壇前に安置されていました。
反射的にいつもの癖で父の足を揉んでしまいましたね、不思議とまだ温かく感じました。あんなに苦しそうだった呼吸がなくなり静かにしている様子から、楽になったように見えて「よかったね」という気持ちが沸きました。

肺がん・および抗がん剤によるダメージで、飲み込む力が衰えたことによる誤嚥性肺炎が直接の死因です。
最後の数日は酸素レベルが低下し口に酸素を当てていましたが、それを外したくて仕方ない様子で何度もゼェスチャーで外せと懇願されました。
同時にのどが渇いた、水を飲みたいとしきりに訴えていましたが、誤嚥してしまうリスクを考えると、飲ませるべきなのか我慢させるべきだったのか、本当に難しい判断だったと思います。(何度も断りましたが最終的には僅かに飲ませてしまいました)

死の数日前、脈が120オーバー、足もむくんでしまい、目を開けることも少なくなりました。
そんな中、足を揉みながら「お父さん、足の指を鳴らそうか?」と尋ねると、父は即座に指パッチンしてみせました。あまり冗談を言わない父でしたが、あれが最後の冗談だったと思います。


小細胞肺がんの発見から2年9ヶ月(33ヶ月間)の闘病でした。
動かなくなった父の横で線香をあげながら「最後のほうの抗がん剤は、苦しかったからやらないほうがよかったかな」なんて話をしました。

過ぎたことなので正解がわからずモヤモヤくよくよしましたが、調べていく中で小細胞肺がんの余命についての岐阜大の学術記事で納得にたどり着けました。以下、要約します。


  • 発見した小細胞肺がんを治療しない場合、3.5ヶ月で半数が亡くなる(すでに転移のある発見だった場合1.5ヶ月)。
  • 抗がん剤で治療した場合、14~20ヶ月で半数が亡くなる(すでに転移のある発見だった場合7~10ヶ月)。


父のケースでは、20ヶ月で半分の方が亡くなるというデータなのに 父は33ヶ月も生きた。
仮に治療をまったくしなければ3.5ヶ月で半数亡くなるという、小細胞肺がんは本当に恐ろしい病魔だったのだ。
苦しい抗がん剤(とくに終盤)でしたが、あの抗がん剤のおかげでなにもしないより10倍も長く生きることができたのである。

あの苦しい抗がん剤は絶対に無駄ではなかった、ちゃんと効いていたのだ、と納得できました(なんせ10倍ですから!)。

ラジオパーソナリティの荻上チキさんの言動からデータを読み解く重要性を日々感じていたのですが、こうしてデータから選んだ治療が正しかったという納得にたどり着け、いちはやく心穏やかになれたのは、ネット上の情報、およびラジオでの勉強のおかげだったと感じます。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
父の病状についてなど、なにか質問などありましたら下のコメント欄よりお願いします。

4 件のコメント:

  1. 経過が良好そうで良かった❗

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  2. 小細胞肺がんは決して油断できない怖い病気ですが、現在のところコントロールできていると思いたいです。
    脳への転移が最も危機だったと言えますが、放射線および来月のガンマナイフで更に小さくなってくれれば…と期待します。
    コメントがあったと父にも伝えますので今後ともよろしくお願いします。

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  3. 実ボク会長 サンドバック様
    実ボクネームNolaと申します。地下編のランキングに掲載して頂いておりますが、メッセージを差し上げるのは初めてになります。
    御尊父様の訃報に接し、心から哀悼の意を表します。ブログを拝見して闘病されていることは存じておりました。
    私はオフラインしかプレイしたことがなく、サンドバック様とは今まで直接交流させて頂く機会はありませんでしたが、やはり自分の好きなゲームの製作・運営をされている方であり、私もランキングに名前を載せて頂いているので、全く知らない人ではないように感じ、突然で差し出たこととは存じますが、お悔みを申し上げたいと考えた次第です。
    長い闘病生活で御家族様もお疲れのことと存じます。どうかご自愛くださいませ。

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  4. お気遣い、ありがとうございます。
    実ボクをオフラインで遊んでくれている方の存在はなかなか表に出ることがなく、こうしてお言葉をかけていただけると嬉しいです。
    ここ最近の更新作業はオフラインモードを主に行っているのですが、ネットモードの更新と比べると感想などもなく霧の中を歩んでいるような気持でした。
    父の訃報がきっかけですが、こうして書き込みいただけて嬉しいと書くのも不思議な感じがしますが、嬉しい!です。
    なにか要望やバグの発見があったら教えていただけると更に嬉しいです。(特にオフラインモードは多岐に渡っていて全てをチェックするのが難しいので…)

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