2011年10月31日月曜日

ポート開放、成功の一例

 アメリカはカリフォルニアに転勤したls氏と久々に遭遇。スパーしましたが、さすがにカクカク…。
しか~し! 以下の方法でポート開放に成功し(所要時間10分以内だったかも)、快適にスパーすることができるようになりました。もしかしたら多くの方が同様の方法で成功できるかもしれません。

まず開放くんをダウンロード、起動。5949番ポートを開放します。
次にスパ天ロビーにて「設定」の■ボタン、「次項」→「ポート閉」を「ポート開」に変更、この時点でポート開放が完了しているはずです。(ルータによっては許してくれない場合も…)
実際にスパーしてみると大幅に改善したものの、まだややカクカクしたので、スパ天ロビー右下の「自己紹介」ボタンから最大遅延値を「5」から「7」に変更、保存しました。が、これはアメリカからの接続だったから必要だったのかもしれません。
以上でほぼ国内と同様、リアルタイムの対戦環境を実現することができました(ただしホストはls氏とする)。参考にしてみてください!
注意…もし、直接接続に失敗した場合は、設定を「ポート閉」に戻してください。

2011年10月28日金曜日

HSP(プログラム言語)

Windows用のプログラミング言語。かつて流行したBasic言語に似た記述方法でパソコンに命令を与えることができる。

すでにプログラミング言語の分野では古いタイプの言語と言え、ネット上でのHSPの評価は「初心者向けで複雑なことを実現するのは難しい」「簡単なアプリを作るためのホビー言語」などとなっているのですが…。

私の作品「実写でボクシング」はHSPで記述・開発されています。結構重い処理を強いる場面もありますが、これまでのところHSPはどんな場面でも私の要望にしっかり応えてくれています。処理落ちのない滑らかなキャラ線画、リアルタイムでのネット対戦、ウェブ上でのランキングやチャンピオンベルト(perlと連携)など、私の考えていた目標はほとんど達成されています。

一度命令を記述してしまえば次回からその部分は全自動で行われるので、作業を続けてさえいれば「チリも積もれば山になる」、いつの間にか頭に描いていたボクシングゲームが出来上がっている不思議。
それを遊んでいると「ここはこうしたい」、「もっと説明を加えよう」などとアイデアが浮かんできて、その実現もプログラムをいじるだけで簡単にできてしまう。

時折思う。「本当にこのゲームは自分が作ったのだろうか…」と。一生の趣味となった実ボクの開発。これを与えてくれたHSPに感謝!

HSP公式HP

2011年10月26日水曜日

八重樫東

輝かしいアマチュア実績を引っさげデビュー、
当時からスピードに乗った動きで注目されていた。

5戦目で東洋タイトルを獲得、7戦目で世界挑戦。
これは当時の最短記録を狙った挑戦であった。

屈指のハンドスピード、多彩なコンビネーション。
やるんじゃないか?と予感させるチャレンジマッチ。

しかし、まだ運命の女神は彼に微笑まない。

王者イーグルの逞しいボクシングにテクニックで対抗するも、
序盤にバッティングでアゴを骨折するアクシデントに見舞われる。

最短記録を狙った試合は、痛々しい惨劇となってしまった…。
いつストップされても、いやストップすべきにも見えたフルラウンド。

長くボクシングを観てきたが、本当に悲惨なダメージだった。
期待された八重樫だったが、このまま引退してしまうのでは…とも思われた。

ほぼ一年のブランク、復帰戦を判定勝ちで飾るも
日本タイトル挑戦権獲得トーナメント準決勝で辻昌建に判定負け。
(後に別の試合で辻選手はリング過で亡くなりました。合掌…)

その後、勝ち続けるも、高速コンビネーションの合間に
勇気を持って差し込んでくる一撃をどうしても浴びてしまう。

鋭いステップワークもフルラウンドに渡って活用できない場面も目立ち、
ファイタータイプの金田に大差で勝ったが、中盤以降は打ち合っていた。

勝ってはいるけれど、スピードはあるけれど、
世界の壁に弾かれる典型パターンだな…。

そう思っていた。

タイのムエタイで大活躍した王者ポンサワンに挑戦が決定するも、
ターミネーターとあだ名される王者は相打ちとスタミナのボクサー。

序盤こそリードするが、確実に八重樫は中盤以降捕まる。
そして恐らく最終ラウンドまで辿り着けないだろう。

そう思っていた。


…今、そのタイトルマッチを見終わりました。

初回はポイント取ったが、2Rからポンサワンがボディを攻めてくる。
4Rまでリードしたが、徐々に八重樫の顔がダメージと疲労に曇る。

5、6Rは、ステップワークで捌こうにも疲労から思うように動けず、
上体を使ったディフェンスでどうにか凌いでいる状態だった。

こっからは単発ジャブでギリギリのポイントを拾い集め、
序盤のリードを守りきって幸運な判定を願うしかない…?

いや、下手したら万策尽きて倒されるんじゃないか…
と思って迎えた7R。

そんな悲観的な展望を考えていた私は、
自身の見通しの甘さを思い知らされる。

ここ数年は怪我の情報も風の噂に聞いていたし、
この夜に賭けてきた八重樫を本当に過小評価していた。

ガードを固めて足を止めた八重樫、
手打ちだったパンチに腰を入れた。

なぜ? 相手の土俵じゃないか、と思った。

しかし、ここから私はもう正座したまま動けなくなったのだ。

頭を振って延命するんじゃない、
足を使って延命するんじゃない、
覚悟を決めた男がそこにいた。

プロ中のプロ、打たれても打たれても打っていく。
少々の相打ちがあろうと休まないのは八重樫のほうだ。

もともと小さい目が更にショボショボになって、
ボロボロになっていき、イーグル戦の顔になっていく。

が、背中に盛り上がった筋肉はあの頃よりもずっと大きく、
ラウンドの合間に映される奥さんと子供達の瞳が彼を力を与えている。

互いに打てば当たる、ガチの打ち合いが続く。
王者がふらつく、挑戦者もふらつく、目が離せない展開。

八重樫、いけーっ!

続く8R、死力を尽くして追い込んでいったチャンス、
王者のカウンターが限界に近かった八重樫を腰砕けにする。

あーーーっ!
世界の壁とか勝利の女神とかここまでそっぽを向くのか…

人生を賭けた男がこんなに頑張っているのに!
妻が、娘が、息子が、ホール全員がこんなに祈っているのに!

10R、開始早々に八重樫の力強いジャブが王者の顔面を飛ばす。
王者の重心が後ろ足、棒立ちになるシーンが増えてきた。

スピードとテクニックでは上回ると言われていた八重樫が、
この終盤にきてスタミナでも精神力でも優位に立っている。

こんなに熱く戦う男だったっけ…
こんなに八重樫ってかっこよかったっけ…

ストップで勝利を告げられるとリングに転がる八重樫、
大橋会長が抱きつくはキスするは、もうやりたい放題♪
(見つめる松本コーチ含め、最高のジムだな♪)

最後は泣きながら心底爆笑させていただきました。
いや~、素晴らしい試合、感動をありがとう!

出身地である岩手からお父さん含む120名の大応援団。

アゴが砕けた挫折から這い上がって掴んだ彼の獲得劇は、
東日本大震災の復興に力を与えたんじゃないだろうか。

這い上がろう! 掴み取ろう! というパワーを!

2011年10月24日月曜日

大橋 vs チャナって…

http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2011/10/blog-post_23.html
ポンサワン vs 八重樫、明日!
(以下、抜粋コピー)

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

王者は「私のパンチの威力を皆にお見せすることを楽しみにしている。チャンスがあればKOしたい」と相変わらず意欲的。一方の挑戦者は「前回の世界挑戦は顎の骨折でボクシングどころではなかったが、今回はしっかりしたボクシングをお見せする」と語り、「KO? 僕は自分のボクシングを貫くだけです」と落ち着いて話した。
プロモーターの大橋秀行会長は「このベルトは20年前私がチャナ・ポーパオインから奪ったもの。今回、弟子があのチャナと同じ陣営と争うことになった。チャンピオンはターミネーターと呼ばれるが、八重樫も顎の骨折からこの場に戻ってきた。こっちもターミネーター。日、タイ、どちらのターミネーターが強いか…」と好ファイトへの期待を語った。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

この試合、チャレンジャーである八重樫有利が大勢を占める試合。
新しい世界王者が生まれるのではないかといわれています。

アマから鳴り物入りで登場した八重樫ももうベテラン。

多彩な攻撃と出入りで撹乱させてのポイントリードに期待したいですが、
なーんかタイの選手の特徴としてパタパタ動く選手に強い印象があるんですよね…。

西岡とウィラポンの印象が強いのかなぁ…

あと、大橋ってチャナに負けたんじゃなかったっけか…。
なんか記事が間違えているような、私の記憶が壊れてしまったのか…

2011年10月19日水曜日

インターネットとの出会い

私が初めて自宅でインターネットに接続したのはドリームキャストという家庭用ゲーム機でした。
インターネット接続の定番、パソコンにももちろん興味があったのですが、どうしても資金が足りず断念せざるを得なかったのに加え、昔からセガハードに愛着があったのでどうせできるのであれば手元にあるこれで!と、当時としては自然な選択だったと記憶しています。

このドリームキャストとは、大本命プレイステーション2に対抗すべくセガが社運を賭けて開発したキラー・ハードです。各雑誌もドリームキャストの可能性を熱く語っていましたが、業界シェアの獲得となると疑問の声が目立ちました。
業界最古株に属する名門セガですが、これまでのゲーム戦国絵巻では苦戦・敗戦の連続だったからです。

マスターシステムはファミコン(任天堂)に、メガドライブではスーパーファミコン(任天堂)に逆転され、期待のセガサターンはプレイステーション(ソニー)と歴史に残る接戦を演じましたがファイナルファンタジーのプレステ移植決定により失速…

敗戦の連続にもめげず、こだわりの独自路線でシェア獲得の夢に向かって前進し続けてきたセガ(ちなみにサービス・ゲームの略!)。切り札ドリームキャストは当時考えられる最新の機能を盛り込んだ結果、現行普及機である初代プレイステーションを遥かに上回る線画能力を発揮、特にポリゴンによる立体表現は見事でゲームセンターの人気対戦ゲーム「バーチャファイター3」でさえ忠実(そりゃコアなユーザーはあーだこーだいいましたが)に移植できました。

更に時代を先取り(と言うか勇み足?)、インターネット通信機能を標準搭載していたので、これまで高価なパソコンが必要だったウェブ閲覧やメールの送受信、ほぼリアルタイムによるネットワークゲームも可能との触れ込み。
当時のパソコンの値段はまだ高価で、最安値でも15万円近かったと記憶している。僅か3万円前後でインターネット機能を使えるドリームキャストは私にとって魅力的な製品でした。

初のインターネット体験は楽しいの一言でしたね~♪セガが提供してくれたサービス「ご近所さんを探せ!」で近所に住むドリームキャスト・ユーザーとメール交換を楽しんだり、様々なウェブサイトを新鮮な気分で閲覧しまくりました。

当時の通信料金は一分ごとに課金されるシステムが主流。「無駄なお金を使ってはならぬ!」とタイムウォッチ片手にジャスト59秒で切断してたっけなぁ。それからオフラインでじっくり見る、みたいな。妻の横でタイムウォッチとテレビ画面を交互に睨みながら「5・4・3…もうだめだっ!切断っ!」とか熱く叫んでいました。写真のあるホームページだと表示(ダウンロード)に時間がかかったので「がんばれっドリキャス!もう時間がないっ!」とヤキモチしたり…

愛着が増すにつれ徐々にドリキャス周辺機器を増設、キーボードやビュジュアルメモリー、更にはS端子ケーブルの利用でパソコンっぽい環境へとパワーアップ。(ちなみにセガサターン時代もキーボードやプリンターを接続してたっけ。なんのためだったっけなぁ…?そういえば電子ピアノもMIDI接続されてたぞ。色も塗って完全オリジナル仕様、フル装備のサターン!)

ゲーム機であるドリキャスを無理やりパソコンへ近づけようとした半年間は楽しくもあったのだが、周辺機器を購入するたびに性能に限界を感じてしまう。「もっと便利になるかと思ったけど…」「パソコンだと簡単なんだろうな…」ドリキャスで体験したインターネットの情報で、無知だった私に知恵がついてしまい、パソコンへの憧れ感情が増していく。

日本語入力の漢字変換が独自方式なので「ボクシング」が「僕寝具」と変換されたり、ドットの荒いテレビ画面では表示領域も狭いし、本体付属の通信モデム速度も普及機より格段に低速…。(これが高速モデムだったら、セガプロバイダーが繋ぎ放題だったら、…今頃時代のトップはセガだったかも!)

最も致命的な問題点は、ハードディスクなどによる本格的なデータ記憶装置がなかった点。ほんの僅かしか本体メモリがないので、短いメールを保存するのも厳しく、重要メール数通以外は読んだらそのまま削除していました。ダウンロードしたゲームデータを保存するにしてもビジュアルメモリ(2800円)の記憶領域を全部食ってしまったりして、そのたびに中古ショップへ走って何個も何個も買い足しする始末(俺ってカモ…?)。

パソコンにとってデータの保存・蓄積は当然の要素。やはりドリームキャストの本業はゲーム、どんなにポリゴンによる3D表示が素晴らしくても、パソコンにはなれませんでした。
皮肉なことにゲーム機のおまけ的要素であるインターネット機能にハマった結果、私はドリキャスの本道であるゲームそのもので遊ぶ習慣がなくなりました。(中古ゲームソフト屋に毎週末通っていた時期もあったけどなぁ…)

社運を賭けたドリームキャストでしたが、販売不振により製造中止に追い込まれ、セガは長年戦い続けた家庭用ゲーム機業界から撤退しました。
マスターシステム、メガドライブ、セガサターン、そしてドリームキャスト。私はなぜかセガのゲーム機が好きで歴代ハードを買い続けてきました(ソニックチームの作品が好きです。美少女ゲームはやりません。)。

ドリームキャストの製造中止と同時に私がテレビゲームで遊ぶ習慣も終わりました(ま、大人になった時期と重なったと言えば、そうなのかもなぁ…)。
ですが、私にとっての次のステージ、インターネットへのバトンタッチを促してくれたのは、紛れもなくドリームキャストという、時代を先取りしすぎた、異様なマシーンでした。感謝したいですね♪

2011年10月11日火曜日

掲示板への不思議な書き込み

そのためだけに行ったのではないのですが、
図書館に行ったので「トラブルにならないためのインターネットマナー」という本を借りてきました。

コミュニティの管理者としての視点ではない内容だったので、
今回のケースに直接役立つような事例は載っていませんでした。

でもやっぱり参考になる部分もたくさんあってフムフムと…。
まぁ多くの場合、スルーが一番いい結果になる傾向があるとのことでした。

もしかしたら海外のボクシングファンが日本語を覚えたばかりで
一生懸命に書き込んでいるのでは…という可能性もあったので、
一概にスルーもどうかなぁ、どうにか本意を酌んであげたい!と思っていました。

ボクシングに関しての知識があり、いいお友達になれるんじゃないかな要素がありつつも、
本当に残念、あまりに内容が一方通行で多岐に渡っており、気軽に返信ができない状態でした。

もし返信したとしても、お話を上手にできる自信が私になく、
ちょっと怖い、威圧的な部分も感じられたので
大変申し訳ありませんが悩んだ末にスルーとさせていただきます。

色々と考えた結果ですので、ご了承を…。
書き込んでくれたのに応対できなくてごめんなさい…。

2011年10月9日日曜日

タクシーのタイヤ交換

11年目にして初めて、タクシーの営業中にパンクしました。

日暮里から築地へ向かうお客さんをお乗せして進行中、
ゴボゴボという音がするのでおっかしいなぁ~と話し合っていました。

ビニール袋かなんかが車の底面に張り付いてしまったのかしら…
な~んて話をしながら進行していたのですが
信号待ちで交番の前にて止まっていたら、お巡りさんが3名もこちらへ!

私が出発しようとすると、全員がダッシュ!
尋常じゃない、切迫した彼らの表情からピピッときました。

(あ、このお客さん、指名手配されてんだな!)と!

路肩に誘導され、お巡りさんが窓際から
「運転手さん、左後ろのタイヤ、パンクしてるよ!」
「うっ、ぜんぜん気がつきませんでした…」

お客さん、疑ってゴメン~。

別のタクシーを止めて、怖い顔のお客さんとは、さようなら~。

私は孤独なタイヤ交換作業に入る…。

手こずっていると花屋の娘さんがサイダーを持ってきてくれました。

(は、なんて美しい人なんだ…)

「ジャッキを回すの早いですね♪」
「いや~、男ならみんなこんなモンですよ、はっはっはっはー」

ここからジャッキの回転を倍速化、後に全身筋肉痛となる原因に!

タイヤ交換を終え出発しようとすると、
花屋の娘さんがニコッとして手を振っている。

(さらば~、パンクしてえがった~♪)

2011年10月6日木曜日

西岡 vs. マルケス

歴戦の雄、マルケスと実際に向かい合うと
我らが西岡はどこまで主導権を握れるだろうか…?

初回、マルケスのフォームの素晴らしさに目を引かれ、
更にジャブがノーモーションからググッと伸びることに驚かされる。

(こりゃ本物だ、暴れだしたらどうなる…?)
基本性能の高さに苦戦を思い描くが、挑戦者は暴れない。

攻撃は左ジャブのみ、右拳はアゴの前で防御に専念させている。
西岡のモンスターレフト対策に比重を置いたディフェンシブな戦術だ。

出血しながらも打って出る、激戦イメージが強いマルケスだったが、
どうやら今回は微差のポイントゲットを重視しているようである。

対する西岡はポジショニングでマルケスのフォームを崩してみる。
が、それだけで壊れるような技術的欠陥はマルケスにはなかった。

ダメージングブローが互いにないままラウンドが進むが、
4Rから西岡がボディショットでマルケスのフォームを崩し始めた。

致命に至る必殺ストレートが当たる環境が整いつつあるが、
マルケスは完全にフォームを壊さず。モンスター対策を維持。
集中力の配分が防御に偏っていき、先制ジャブが減っていく。

5Rに西岡の左ストレート、6Rには大きく弧を描くフック、
どちらも左、手応えのある単発強打が決まり、王者のペース。

8R、バッティングで西岡が出血するとマルケスがここぞ!とラッシュ敢行、
ただしキッカケとして弱いため不発に終わってしまいスタミナロス。

ここからマルケスの勢いと集中力が落ちていくのだが、
もしかしたら選択した戦術も彼にとって窮屈だったかもしれない。

素晴らしいジャブに専念することで左フックは最後まで使えず、
右ガードも確かに有効だったが本来主武器となる右を激減させた。

全体を通じてボディショットが少なく単調なボックス、
打ち合いの中で自分を盛り上げていく熱血漢が
緊張感の中で萎縮、ジワジワと消耗してしまった感じだ。

終盤10、11、12Rは、西岡が先手で自在に攻撃着火していく。
マルケスは守勢に必死で攻め時すら見つけられなくなっていく。

西岡が勢いに乗った連打に混ぜて右フックを好打させると、マルケス混乱。
睨み合い距離の維持を放棄し、ノープランで戦うジリ貧状態へと陥っていく。

意地でダウンを拒否する様に修羅場慣れを感じさせたが、
すでに手札を使い切っており、王者防衛への傾きが増していく中で終了。

西岡の優勢が強く印象つけられた末、判定勝ちのコール。


西岡は毎回これが自身のベストバウトでは?と思わせてくれる。
4度の壁に一度は見切られた男が素晴らしいチャンピオンになった。

日本人ボクサーがベガス、本当の頂点で輝いている。
おめでとう以上に言いたいのは、「ありがとう」かも知れない。


さぁ~、気が早いかな、次のカードはボクシング界全体にとって、
最大の注目カードになる可能性も出てきた。

西岡物語はまだ続いていく!

2011年10月4日火曜日

当時、Windowsで遊べるボクシングゲームがなかった

私がパソコンを始めた頃(1998年ごろ?)、まず最初に思ったのは「PC(Windows)でボクシングゲームってないのかな?」だった。

小学生の頃からボクシングゲームが好きでした

所有している家庭用ゲーム機セガサターンではいくつかボクシングゲームが出るには出たが作品として優れているとは思えなかったし、名作と噂されるボクサーズロードはプレイステーションで発売されたので、本体を持っていない私には遊ぶことができなかった。

当時プラウザの検索窓に「ボクシングゲーム」と入力すると出てきたのは確かにPC用のボクシングゲームでしたがマック専用、Windowsユーザーでは楽しむことができませんでした。

(なぬ~、やはり見た目もオシャレなアイマックを買えばよかったのか~)と当時は思いましたが、今となってはHSP言語の使えるWindowsでよかったな、と思っていますし、検索で出てきたそのマック用のボクシングゲームもそれほど本気で製作された代物には見えなかったと記憶しています。

結果的に当時「ボクシングゲームが見つからなかった」という結果が「仕方ない、自分で作るか…」という流れになったので、なにもなかった、というのは幸せだったのかもしれません。

そう考えると、なんであれ黎明期を体験できるっていうのは、クリエイター型の人間にとっては幸せなことなのかもしれませんね。

ボクシングゲームを作るために必要なプログラミング言語を探してみると、これはすぐに見つかりました。

作る!という強い意志があれば絶対に使いこなせる!

HSPという無償公開されているコンピューター言語で、BASICに似ている、と紹介されていました。BASIC言語はサターンベーシックという超マイナーなソフトで体験済みだったので、これだ!とわき目も振らずに決めました。

右も左も分からない最初こそ苦労しましたが、やりたいことができないたびに悩むより早く検索をしました。サターンベーシックの頃は分厚い説明書片手でしたが、インターネット時代だと説明書すらも不要なんだなとその恩恵をヒシヒシ。

ネット上にHSPの解説サイトはすでにたくさん存在していたので、多くの不明点は解決できました(先人に感謝!)。

難しすぎて理解できない不明点は自分の理解できる方法で代用し、とにかく完成に向けた作業が止まらないようにしました。
(世の中には素晴らしい可能性を秘めているのに完成せず放棄された作品が山ほどあります…)

数ヵ月後に「グラフでボクシング」という処女作品ができあがり、たくさんのボクシングファンと出会うことができました。
こちらのグラボク記事も嬉しかったです。

熱い試合、負けられないんだ!

要望やバグ報告に応えていく中で、顔も知らないのに確かな親交が深まっていく関係は楽しかったなぁ。
現実世界では特化した趣味の仲間を見つけることすら大変なのに、ネット上では驚くほど簡単に集うことができる…と。

その後、西沢ジムで若者にボクシングを教え、ジムの閉鎖後はその活動を元にしたゲーム「実写でボクシング」を作って今に至ります。

HSPプログラミングコンテスト最優秀ゲーム賞を受賞!

ボクシングゲームで遊びたかったが、見つからなかったので自分で作った…。だけでなく、私はその自作ゲームでほぼ毎日遊んでいます、なんと12年以上も!(実ボクの歴史

更に自宅サーバを24時間稼働させてネット対戦を実現してからは、ユーザーの皆さんとの真剣勝負にそりゃもう夢中!

プレイヤーとして遊び、感じた不満点を、開発者として改善していくサイクルは、まったく終わる気配がありません。

完全に実写でボクシングの開発・運営は、私にとってライフワークとなりました。
この活動はとてもやりがいのあるものです。

検索しても見つからなかったWindows用のボクシングゲーム。見つからなくってよかった♪

色々なパラレルワールドが日常の選択全ての数だけ存在する、というSF的なお話がありますが、今に至る過程ってどんな今であろうとも奇跡的な確率だと思います。

12年以上も実ボクを作り続けている「今」に辿り着けてよかった…。
実ボクを通じて多くの人と仮想空間で触れ合えて本当に良かった!


関連リンク
実写でボクシング ダウンロード
実写でボクシング公式HP

実ボクユーザーとランチ

ひょいっと古い実ボクユーザーから連絡があって、昼ごはんを安楽亭で一緒に食べました。
(600円であんなに食べられるんだなぁ~)

行政書士の認定証、コスモスバッジを見せてもらい、頑張ることの大切さを間近に再認識することができました。

無頼男氏やぽせいどん氏の強さについて深く語りあったり、いつかは関東圏のユーザーみんなと会いたい、群馬のfight氏あたりとはいつか会えるかもねぇ~とか…。

スーツのあう誠実そうな若者になっていたなぁ…。

ついでにお宅にも半強引に突入♪
(思い出作りが大事なんだ、と謎の文句で突入するおっさん)

映画ロッキーのポスターからロッキー話に花が咲き、懐かしの実ボク写真スタンドとか実ボクストラップ、処女作であるグラボクというゲームが持つ普遍性だとか…

で、帰る際に私が「来た道を戻るのが一番いいよね?」と聞くと「そうですね、あそこを右に…」「おっし、わかった、じゃーねー♪」

遠くで頭を下げている若者をバックミラーで確認しつつ、右折しようとする私にファイナルギャグが炸裂!

(おぉーっと、右折したら一方通行逆走じゃないか♪)

楽しい一日をありがとう、あ、コーヒーご馳走様を言うのを忘れていた。
ごちそうさま~、また飲みに行くぞ~。

2011年10月1日土曜日

THE MODS 「ロメオとジュリエット」

10/1、本日結婚記念日でした。(覚えていませんでした!)

娘が手作りのカードをくれました。ありがとう!

思えば19で結婚したサンドバックな若者は世間知らずで、ただただホームレスにならないように必死でした。

最寄の駅なんてないに等しい、畳が斜めになっているアパート、帰宅して電気をつければゴキブリ100%だったっけなぁ…。

それでも幸せでした。

こじんまりとした結婚式で流した曲は、THE MODS「ロメオとジュリエット」。



今思うと結婚式向きではない歌詞(特に二番、犯罪に走ってしまう主人公)でしたが、あの頃の二人にとって世間と向かい合う上で必要な曲だったと感じています。

もうあれから何年経ったんだろう、19年かな…?

個人的には相手がいるんなら結婚は早いほうがいいと思う。
だって物語はそこからだからだ!