2021年2月24日水曜日

亡くなった父が夢に出てきた

夢ってすぐに忘れてしまうので、覚えているだけでも残しておかねば!と思い立って執筆した自分向けのページです。(夢なので物語としてはなんの落ちもありません)

なかなか出てきてくれませが、今後も父の夢を見るたびにこのページに追記していこうと思います。


1

新しく入った会社の研修みたいな状況でデパート内を歩く私。珍しくスーツを着ており、普段よりも緊張した状態だ。

ふと見るとジャージ姿の父親が杖を使って歩いている。

高校生の頃、町中で母親を見かけても知らんぷりした事を最近になって指摘されたので、声をかけねばと思うものの会社の同僚がいるので躊躇していた。

すると、父親がグラグラッとバランスを崩した!

「お父さん!」と私が駆け寄ると軽く尻もち、手を差し出す私を息子だと気がついていない様子で「いやいや大丈夫です」と顔も見ずに他人行儀で立ち上がろうとする。

「俺だよ、一秀だよ」と言うと「おー、一秀か」と驚いた顔をする。

一人で出かけることなんて稀なので「お母さんはどこ?」と尋ねると、口をモゴモゴしてなにか言いたそうにしているが言葉にならない。

このあたりで私が(あ、お父さんはもう死んでいるのだった)と気がついてしまい夢は覚めた。

亡くなってからはじめて夢に出てきたのでなんだか嬉しかった。


2

実家に帰って応接間に入ると、父が窓際のソファーに座ってリラックスしている。白のランニング姿、どうやら季節は夏のようだ。

「あ、お父さん、いるんだ」と私。

いないと思ったらいた、という前提なので、よく考えたら故人である事を知っているような不思議な声掛けである。

「あぁ、600だから来た。」と意味ありげな謎の返答をする父だが、聞き返すこともなく「ふ~ん」と流す私。(今思えば、600ってなに?と聞いておきたかった)

そのまま特に会話もなくのんびりしていると、父は石原裕次郎の人気曲を口ずさんだりして機嫌が良さそうだ。(これは珍しい事で生前にはこんな事はなかった)

私が「さ~て、今日はこれからどうしようか?」と尋ねると、即座に「うわっているのを見に行きたい」と言う。

生前によくウォーキングしていた松伏にある公園に植えてある花の事なのか、自宅の庭になにかを埋めたのか、もしくは自分自身のお墓の事なのか…。

どういった意味なのか確かめる事なくここで目が覚めてしまった。

後日、母に夢の内容を伝えるが、600という数字も「うわっている」のがなんなのかも心当たりがないという事でした。


3

夏の涼しい日、父と私の二人で自転車に乗って見知らぬ土地を移動している。二人乗りしているのだが、お父さんに重さは感じられず辛さはない。人影や人家はなく、荒涼とした雰囲気が延々と続いている。

どうやら道に迷ってしまったようだ。だがふたりともイライラした感情はなく、「これは巨大な環状線みたいだね」「そうか…」のように淡々と状況を受け入れている。

ふと前方に巨大な壁、堤防?が現れる。

私が土手道を登って先に壁に辿り着く。潮風を浴び続けたコンクリ製でゴツゴツしており、高さは1.5メートルほどだ。

壁の先は崖、10メートル下には狭い砂浜があって人々がテントを張ってキャンプをしている。その先は船のドックのように人工的な切り込みの入った港となっているが、黄色くて背の高い草がぼうぼうに茂っている感じ。海面は見えず、その方向に行けば行くほど秋めいている印象。

気がつくと父が私の横にいて一緒に壁の向こうを見ている。絶景に「はぁ…」と関心している様子で(すごいな)という顔を私に向ける。

私がもっと遠くを見ようと目を凝らした隙に、老齢の父親がヒョイと壁を超えて小さな足場に乗った。危険な場所なのに恐怖を感じていない様子で迷うことなく重心を崖方向に傾ける。

このままでは落ちてしまう!と私は手を伸ばして父親の手を握ったが、その手を握り返すことなく父は自分の意志で崖から落ちた。

ビチッとイヤな音。

頭から砂地に落ちて大怪我を負ったはずなのにヨロヨロと立ち上がり海の方向に歩き出す。キャンプの若者が父の顔を見てギョッとしてすぐに携帯電話で救急車を呼んでいるのが見えた。父は一度も振り返らず海に向かって歩き続けるが、ついにダメージによりしゃがみこんでしまう。

私は何らかの方法で崖下の砂浜に降りて父の元に辿り着き、抱きかかえて「救急車を呼んでくれたからね」と言うと父は頷いた。キャンプの若者がこちらを見ているので、救急車を呼んでくれてありがとうの意味で彼に会釈をした。

このあたりで目が覚めて(お盆だからお父さんの夢を見たのかな…)と納得するも眠れず、キーボードを叩くことにした。