2016年10月7日金曜日

最古のボクシングの記録(フレスコ画)

エーゲ海に浮かぶ島に、500年以上も栄えた古代都市があった。

豊富な海産物のおかげで都市は発展し、大陸側では頻発していただろう、大きな戦争にも巻き込まれることはなかった。

が、紀元前1500年頃、大噴火により島の大部分が陥没、この古代都市は火山灰により完全に埋没してしまった…。
(有名なポンペイの噴火はこの約1600年後)


約3500年後となる1967年、大々的な発掘調査が行われた。
幾層にも降り積もった火山灰を掘り進めると、古代の街並みが現れます。



三階建てのビル(水回りの配管は二階にまで!)、家具、フレスコ壁画、土器が発見され、古代の人々が高度な技術を持っていたことがわかりました。

多くの家には耐震設計が施されており、地震にも対応できていた事が伺えます。

更に興味深いのは噴火の被害者の遺体が見つかっていない点です。恐らく地震の頻発や小噴火から危険を察知し、街ぐるみでの集団避難に成功したのでしょう。素晴らしいリーダーがいた、と想像できます。

ただし、悲しいかな、避難先で生き残れたかは疑問。近隣の島のほとんどが大噴火の直後、大津波に襲われているのだ…。
(この大災害をアトランティス伝説と結びつける学者もいる)

街からは多くの遺物が発見されましたが、残念ながら都市の名前を伝えてくれるような情報はなにひとつありませんでした。

発掘現場の側にあった村の名前から、遺跡は仕方なく「アクロティリ」と名付けられました(本当はなんという名前だったのだろうか)。


私が興味を持ったのは、ある建物(施設)の…



左側の壁に直接描かれている、現存する最古のボクシングの記録となっている「ボクシングをする少年」である。



グラブは片手のみなので、殴る以外の攻撃も許されたのかもしれない。足を前後させた構えから、左右拳の機能差やフットワークも利用したと考えられる。

(3500年前にも、ボクシングはあったんだ…)

じっくり眺めているとかなりの画材部分が剥がれ落ちていて、後に描き足された部分が多いことに不安になる。

(本当にボクシングなのか?)

不安になったので、残されたフレスコ画材以外の、壁に描き足された部分を灰色で消去してみた。



灰色に塗る作業を終え、じ~っくり眺めてみて確信できた。

失われた部分の延長線上にヒントとなる画材が運良く残っているので、灰色部分に描き足された手足は正しいとしか思えない。

(これは間違いなくボクシングだ!)

もう少し画材の破損が進んでいたら、ボクシングと確信できるレベルにまで修復できなかっただろう。

まさにギリギリの保存状態! (火山灰は水を通さない軽石なので、一度埋まってしまえば何千年も固定してくれるのだ)

追記…後の調査で、フレスコ画は壁に直接下絵を描くのだと知る(情報元)。なので、「後に描き足された部分」と私が考えた部分は、「下絵として事前に描かれていた部分」が正しいようだ。なので、より確実にこの絵は「ボクシングをする少年」である!

この壁画のある部屋はやや広く、隣には柱のないもっと広い部屋があった。



私設ボクシングジムを二年間運営した身としては、この正方形の広間(B2)が拳闘場であった様に思えてならない。壁画のある部屋(B1)は控室なんじゃないだろうか…。


かなり長時間に渡って、フレスコ画を眺めたり、古代のボクシングジムを空想していたせいだろうか。

とっくに亡くなっている二人の少年ボクサーの動きを、指導者として「見てみたい!」という、時空を超えた欲求が湧き出てきて止まらない。

3500年前の古代都市、どんな拳闘指導が行われていたのだろうか…。

現在のジャブに値する探り針はあったのだろうか、フットワークはあったのだろうか、なぜ片手だけグラブを装着しているのか、前に避けるダッキングという技術はあったのか、ボディブローは許されたのか、マウスピースなしで大丈夫だったのかい?



「○○君は、なんでボクシングを選んだの?」
「えっと、ボクは…」

(大津波の時は高台まで逃げられたかい?)


当時のボクシングを取り巻く仕組み(ルール)に関する疑問も沸き出てくる。

ランキング制度やチャンピオン制度はあったのか、試合時間はどうなっていたのか(そもそも時計はあったのか)、報酬はあったのか、体重による階級制はあったのか、観客はいたのか、この危険な競技に選手は自ら志願したのか。

漫画やアニメとなった作品「セスタス」は、奴隷が闘技場で戦わされる物語だった。負けたら観客のブーイングによっては殺されてしまう、そんな悲惨なルールだったのかもしれない。

街の名前すら残っていない、そんな大昔の事だから、これらの疑問の答えなんか見つかるはずもないのに…。



後にツイッターの仲間、zo_bula_bulaさんから情報を提供していただきました。
(この人もきっと私と同じようにボクシングへの探求が止まらない人なんだろうな…と嬉しくなりました、感謝!)



zo_bula_bula





アフリカ、ナイジェリアに伝わる民族拳闘「ダンべ(Dambe)」が、この壁画に類似した姿の片手攻撃・片手防御で、盾と槍の機能を素手に置き換えた感のあるスタイルです。

世界各地の古代拳闘の発祥がどんな物だったかを考える、一つの大きなヒントかも知れません。



サンドバック

なんと3500年前の壁画とまったく同じスタイルで行われている競技が今に伝わっていただなんて…!!!
素晴らしい情報に感謝です。

いつか今回のやり取り含めブログにまとめてみようと思います。ありがとうございました。



追記①

ボクシング畑の著名ツイッター、ジーコさんがダンベの最新情報をツイート。転載許可いただきましたのでここに残します。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

かつて西アフリカで伝統的に行われていた「ダンベ」というボクシング風格闘技が、近年(2018年8月)ナイジェリアで興行競技として復活しているという記事



ダンベでは「槍」と呼ばれる引き腕のみを縄のようなバンテージで固め、前腕は素手のまま防御や掴みなどに用いられる。

もともとは収穫祭や葬儀などにおける祝事として始まったというダンベに統一的なルールはなかったらしい。

2017年に草の根クラブをまとめた「ナイジェリア伝統ボクシングリーグ協会」という組織が設立され、ユニフォームや採点システム、悪質な観客の追放処分などのルールが定められた。

協会長のBello氏は、やがてダンベを国際的な競技にしたいと語る。

また協会とは異なる動きとして、「ダンベウォリアーズ」というYoutube配信を軸としたプロモーターも活動している。こちらもやがては海外興行を見据えているという。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

ダンベが現在進行形だった、もしくは現在進行形になった、という驚きの情報。

老婆心的な心配を述べると、ボクシングと技術的に重なる部分が多いと思われるので、世界中のボクサーが参加して一気にナイジェリアの民族競技としての立場を危うくしてしまいそう。(外国人力士ばかりになった日本の相撲のように)

しかし、それがいい事なのか悪い事なのかは判断が難しい。



追記②



大噴火によって島の大部分が吹き飛んでおり、カルデラ状の陥没が今も島の形として残っています。急激な陥没により発生した大津波の規模は計り知れません。

アクロティリ遺跡は現在も発掘中ですが、一般公開もされています。



一時間近く歩き回る広大な施設にもかかわらず、なんと全て屋内なのです、素晴らしい!

記事の中で取り上げた「ボクシングをする少年の壁画」は現在、アテネ国立考古博物館にあります。アクロティリ遺跡にはないのでご注意を!

アテネ国立考古博物館で気を付けねばならないことがあります。ギリシャでは写真を撮る時、彫刻と同じポーズをとってはいけないという法律があるのです! (マジかいな!)


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1 件のコメント:

  1. Twitterから来ました。
    数千年の時を越えて一枚の壁画から広がるボクシング物語、とても興味深く読ませていただきました。また、私のツイートを使っていただき、大変に恐縮であります。
    このような昔から、既に人類はボクシングを体系だてて訓練し、その伝承が様々な道を伝って現代にまで繋がっているということに改めて感心する思いがします。

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